あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

争いと進歩

昨日感想を書いた『シーソーモンスター』に関連して、今日は争いと人類の進歩について書こうと思っていたら、珈琲好きの忘れん坊さん(id:external-storage-area)が、ちょうど同じようなことを書いていらして驚いた。

 

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『シーソー・・・』には海族と山族の反発を語る部分で、「対立が起きることで人は進化している。無風状態では何も起きない。ぶつかり合ってはじめて、変化が起きる。変化があって、はじめて人は進化する」という記述が何度も出てくる。

 

確かに、過去には戦争から生まれたと言われる科学の進歩もあったようだ。けれども、私は時代物の小説などから知った知識に過ぎないが、結構江戸時代を評価している。

 

神社に納められた算額などから数学のレベルが高かったこともうかがえ、高度なからくり人形も作られ、何より庶民の識字率は高く、草紙や俳諧連歌など言葉で楽しんだということに感心する。確かに武器はあまり進歩がなかったかもしれないが、刀剣は切れ味と美しさを追及して美術品の域にまで高められた。

 

ごく一部を除いて外国には扉を閉ざし、国内(まだ国という意識はなかったかもしれないが)では、それまでのような大名同士の争いがなかった。その平和が、江戸時代の文化の進歩を生んだのではないだろうか。

 

もちろん、戦争から生まれた科学の進歩も、それを求めて戦争をしたわけではなく、新しい発見や研究が戦争に利用され、大きく発展するきっかけになったということだろう。けれども今や、明らかに戦争のための研究やより強力な武器の開発に、各国がしのぎを削っているように感じる。

 

伊坂さんのこの作品でも、海族と山族は強く反発し合いながら、実はお互い非常によく似ていて、当人たちが薄々それに気づくような描写がある。そしてそんなちっぽけな人間同士の諍いをあざ笑うような事態が起きる。

 

「対立が起きることで人は進化している」と繰り返し書きながら、著者は「本当にそうなのか?もういい加減、人類みんなで力を合わせて、地球の存続を考えろよ!」と言っているのではないだろうか、と思う。

 

 

みんな仲良し!  (マランダーさんのサイトより)