あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

落語の楽しみと師弟愛『芝浜謎噺』愛川晶著

神田紅梅亭寄席物帳」という副題の作品で、この前に『道具屋殺人事件』という作品があることを、読んでから知った。けれども、いきなりこの作品からでも十分楽しい。

 

主人公は、寿笑亭福の助という二つ目の落語家とその妻亮子。福の助の現在の師匠は寿笑亭福遊だが、それは本来の師匠山桜亭馬春が脳血栓で倒れ、左半身麻痺となってしまったからだ。

 

その馬春師匠がいわば車椅子探偵で、五十音を書いた表を指して示すいくつかの言葉をキーワードにして、福の助があとの細かな謎を解き明かす役目を果たす。本作では「野ざらし死体遺棄事件」「芝浜謎噺」「試酒試(ためしざけだめし)」の3つの話が語られる。

 

落語好きならこの題名でピンとくるだろうが、それぞれに古典落語の話が絡む。往年の名人から立川談志といったわりと最近の人気者の名前も出てきて、虚実入り混じった落語にまつわる話が非常に面白い。また落語という芸の奥深さも興味深く読ませる。

 

亮子の伯父の幽霊騒ぎを、馬春師匠のヒントで福の助が解決する「野ざらし・・・」は、一番ミステリー色が濃い。「芝浜・・・」は古典落語『芝浜』と名人たちの取り組み方や、この話の細部の蘊蓄が興味深い。そしてその『芝浜』の難しさが次の話にもつながっていく。「試酒試」はもちろん落語の話も面白いが、馬春師匠のできの悪かった最後の弟子亀吉と、兄弟子や師匠の情愛がにじみ出て、三作の中で最も人情色が濃く泣かせる。

 

愛川晶という方は全く知らなかったが、なかなか楽しい読書だった。ただ、作家が入力ミスしたデータをそのまま本にしたのかと思うような、単純な助詞の間違いが何か所かあったのが、読書のリズムを乱し残念だった。

 

どうやらこのシリーズは今後も続きそうで、次作が待たれる。もちろん前作の『道具屋殺人事件』もぜひ読んでみようと思っている。

 

 

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またしてもウッカリで「1」がゼロに

用件3つの日と2つの日を何とか乗り越え、ほっとした気持ちがあったのだろう。うっかり今日の見守り当番を忘れてしまった。

 

いつもは当番の週になると、初日に月曜から金曜まで繰り返しのアラームをセットするのだけれど、今週は新学期の第一週ということで、連日11時台ではあるものの微妙に時刻が違った。それで週間セットをしていなかった。

 

一昨日、昨日はかえって用事が重なっていたために遅れないよう意識し、結果的に事なきを得ていた。今日は朝アラームをセットするべきであったのに、思えばもう朝から「今日は何にもないわ・・・」とのんびり気分に浸ってしまっていた。反省。

 

 

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昨日、近所に住む友人が届けてくれた庭の花。生け方がひどいので分かりにくいが、ムベ・ヒメウツギハナミズキ・シャガ。ヒメウツギがとても可愛いので、少し楽しんだ後「ダメもと」で挿し木してみようかと思う。

 

ムベの名を知らなかったのでネットで調べたら、色々なことが分かった。アケビのような実がなり、その実は不老長寿の効果があるとか。「ムベ」という名を知って私は反射的に「むべ山風を嵐といふらむ」という歌を思い出したのだが、あながち無関係ではなかったようだ。

 

少し変わった名前のムベ。この名前の由来は天智天皇が出かけ先で、長生きをしている老夫婦に出会い、その夫婦からある植物の果実を受け取る。天皇がそれを食べてみたところ、「むべなるかな」と言ったのだとか。食べてすぐ天皇がそうお思いになるほど、精気が身体じゅうにみなぎるような感じがしたのだろうか。食べてみたい気がする。実がなったら分けてくれるよう友人に頼もうか。

3か月ぶりの日本語教室

1月の半ばから、二回目の緊急事態宣言で日本語教室はお休みということになってしまった。2か月半の休講だったが、やっと今日から新年度の教室がスタートした。

 

休みに入る前でも、来てくれる生徒さんは1人ということが多かったので、3か月ぶりの教室に果たして出席者があるだろうかと心配だったけれど、思いがけなく3人の参加があった。

 

スタッフのほうは反対に、健康診断と術後の定期健診に当たってしまった人がいていつもより少なく、参加は3人だった。しかも、私は今日も始業式ということで見守りが昨日と同じように11時台だし、もう1人は保育園のお迎えがやはり11時過ぎということで、11時以降はスタッフ1人になってしまうというスタートになった。

 

というわけで、今日も役目が2つ重なる日だった。午後は予定がなかったので、先週ATMで入金するときに拒否された通帳を持って、ウオーキングがてら近くの金融機関へ(以前に自治会の通帳で経験したので、たぶん磁気が弱くなっているのだろうと察しがつき、今回は慌てなかった)。

 

あちこちで様々な花が咲き、まだ歩いても汗をかくこともなく、今が一番ウオーキングの楽しい季節かもしれない。昨日も今日も、用事をたしている間に7000歩達成。

 

 

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「四分の三日蔭」でも頑張っている花たち。

 

トリプルお仕事、緊張してこなす

昨年からコロナのお陰で主だった行事が軒並み中止になり、手帳に予定が書きこまれることもめっきり減った。そんな中で、今日は珍しく3つのことが重なった。

 

まず10時から民生委員の定例会。そして小学校の入学式の今日(本来なら式に参列するのだがコロナでなし)、見守りが11時半。昼に帰宅して急いで昼食を済ませ、市役所まで出かけて午後2時から市の老人会女性部会の会議。

 

先日の日曜日、2つ重なってミスしたばかりなので、今回は早々と昨日から、何度も手帳を開いたり、スマホのアラームをセットしたりとそわそわした。

 

先ほど無事3つ目をこなして帰宅した。ふうっ・・・。

 

老人会女性部会の年間の最大のイベントである秋のチャリティーバザー。一昨年、股関節の手術からちょうど1年のころにこのイベントに遭遇し、前日の準備とバザー初日の当番と、二日連続で立ちっぱなしの手伝いとなりヘロヘロになった苦い思い出がある。

 

しかも今年は、ずっと順番でやっているからとブロック長とやらになってしまい、そうすると3日間のバザー期間中毎日参加して、お金の管理をするのだと言う。めまいがしそうな気がしたが、幸い、と言うか、各ブロックごとの話し合いでバザーの開催についてどう思うかを話し合った結果、現在のコロナの状況からして今年も開催は見送るのが妥当という意見がほとんどだった。

 

今日の意見をもとに市のほうで最終的に結論を出すのだが、9つのブロックのうち開催という意見は1つだけ。様子見が2つであとは中止という意見だから、これで開催ということにはならないだろう。

 

私のブロックだけが、コロナに関係なく、チャリティーバザーは曲がり角に来ている、そろそろ時代に合った企画に変えるときではないかという意見を出した。

 

 一昨年のチャリティーバザーについてのエントリー:

一日中バザーの準備でくたくた! - よんばば つれづれ

 情けない体力 - よんばば つれづれ

 

 

なにか違う形になっていってくれればいいけれど、女性部会の唯一最大と言ってもいいような行事であるだけに、なかなか難しいかもしれない。

 

 

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急ぐときはカレーが一番!冷凍ご飯をレンチンして、レトルトカレーを湯煎。本日のカレーは明治の「まるごと野菜」。これ一食に一日分の必要野菜が入っていると謳っている。ほんとかいな?確かにナスはかなり存在感あるけれど・・・。

違った!一日分じゃなく「一食分」だ。紛らわしい。

 

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1958年の切手!?

ペシャワール会から会報が届いたのだけれど、その封筒に珍しい切手が貼られていた。長崎の出島を描いた80円の切手と、ゴールのテープを切る瞬間の陸上選手を描いた「第3回アジア競技大会記念」という14円の切手だ。

 

これはおそらく会員から寄付された切手だろう。会報の発送にこういう切手を寄せ集めて使っているところに、この会の台所事情の大変さを垣間見る思いがして応援せずにはいられない気持ちになる。まとめて後納郵便などにするほうが、スタッフの作業は格段に楽になるだろう。

 

14円という金額からして古そうだなとは思ったが、興味を覚えて、「日本郵便」の下の小さな文字を見ると、1958と表示されている。古いだろうとは思ったが、予想以上の古さに驚いた。普通に使ってしまって、もったいなくはなかったのだろうか。

 

私はこの切手を切り取り、使用済み切手を集めている団体に委ねる。包装からベルマークを切り取らずに捨てることができないのと同様に、もう何十年も、郵便物に切手が貼られていると、使用済み切手を切り取らずに処分することができない習性になってしまっている私である。

 

思いがけない古い切手のお陰で、アジア競技大会について知ることができた。第二次世界大戦後インドの提唱で始められ、1951年(私の生まれた年!)にインドのニューデリーで第一回が開催された。基本的に夏季オリンピックの中間年に開催されるのだそうだ。

 

Wikipediaによれば、切手に描かれている1958年の大会については、「1958年5月に開催された第3回大会は1964年の東京オリンピック招致活動の最中の東京で行われ、大会に先立つ5月には国際オリンピック委員会総会が東京で開かれ、国際大会の開催能力をIOCに対して示す貴重な機会となる。」と説明されている。

 

敗戦から13年の当時、相当頑張って見栄を張ったことだろうが、それでも、今回の東京オリンピック招致にまつわる嘘や袖の下よりは慎ましやかだったのではないかと想像される。

 

 

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人のレジでも非接触の時代

今朝は起きるといきなりドンっと来てびっくりした。豊橋は震度2とのことだが、時間こそ短かったものの、それ以上に感じた。「すわっ、東南海地震?!」と、心臓が打ち身構えたが、それきり静まり事なきを得た。やれやれ。

 

さて、またしてもうっかりして、先月末、カードの利用料を引き落とし不能にしてしまった。おそらくもうこの20年、いやそれ以上、こんなことはなかったと思う。2月は1月に買ったパソコンの分があるので金額が大きく注意していたのだが、3月は大した金額ではなく全く口座残高を意識していなかった。

 

そんな訳で今日払込票が届き、最寄りのコンビニに出かけ支払いをしたのだけれど、長いこと行かずにいる間に、またしてもコンビニは進化していた。確かにレジの人を相手に払うのだが、触れるのは機械だけである。ピッ、ピッと何回か機械の画面にタッチし、お金は機械の所定の口に吸い込ませる。と、自動的におつりがジャラジャラと出てくる。レジの人間様からはレシート(これは機械から出てきたのだった)や払込票の片割れを渡されるのみだ。

 

先日読んだ『成熟脳』の著者黒川さんは、利用するスーパーの自動支払機が嫌いだと書いていた。金属のトレイにジャラジャラと転がり出てくる小銭を拾うのはうら寂しく、少し列が長くても最後まで人間が対応してくれるレジに並んでしまうそうだ。

 

買い物のうら寂しさは進むばかりで、今後、人レジはホスピタリティになり得る。人工知能時代には、人当たりが良くて手際が良いレジ打ちさんにヘッドハンティングがかかるかもしれないと書いていらしたが、これもコロナ前の時代の話になってしまうかもしれない。

 

いったん非接触のためにこうした機械を導入すれば、今後はずっと使い続けるだろう。それとも、将来コロナ禍が収束すれば、また人間が対応してくれる良さが見直されて、手渡しでおつりを渡す行為が戻るようになるだろうか。

 

 

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指チュッチュが好きだったドリーム。非接触もアルコール消毒も手袋も、きっとイヤだよね。

朝から落ち込む我がウッカリ!『成熟脳』に励まされるも・・・

第一日曜日の今朝は町内の清掃日だった。そのあと今日は昨年から加わっているNPO法人の集まりがある。通知が来た時から、この日の午前中は忙しいなと思いながら出席の返事をし、足のない私のために理事長が途中のポイントでピックアップしてくれることも決まっていた。

 

それなのに、ああ、それなのに!である。約束の時間を5分過ぎたころ電話をもらってしまった。すっかり忘れて、まだ掃除に参加した服装のまま家にいた。平身低頭、私は欠席ということにしていただいたが、私が待ちぼうけを食わせたため、理事長を遅刻させてしまう結果になった。申し訳なくて消え入りたい。

 

最近、自分の脳が非常に頼りなく感じることが多く心細い。本を読んでも恐ろしいほど内容が抜けてしまう。それで、黒川伊保子氏の『成熟脳』という本を読んだりもした。副題で「脳の本番は56歳から始まる」とあって、物忘れが始まるのは、究極の直感力に到達するため「今、生きるのに直接必要ない」とおぼしき回路の優先順位を下げていくためで、「物忘れは老化でなく、進化である」と、なんとも頼もしい励ましをいただいた。

 

脳を装置として見立てると、56歳で出力性能最大期を迎えるのだそうだ。28歳まで優秀な入力装置として働き、28歳から出力の力を発揮し始め、経験(特に失敗の経験は脳の大好物とか)を加えて出力性能のピークを迎え、ここから84歳までが「ヒトの脳が最も使える時期」に当たると嬉しい論理が展開されるが、これはやはり常に使い続けての話だろう。

 

365連休に入ってまもなく丸8年になろうとしている。本やインターネットの情報を読み、社会活動に参加してはいるが、おそらく脳は現役時代のような緊張感はない。その証拠に、現役時代にはたびたび起きていた頭痛もなくなったし、週末に微熱が出るというようなこともない。

 

たとえなんらかの原因の病的な認知症が起きていないにしても、脳は高性能であるがゆえに、楽な環境になればすぐ順応し、手抜きを始めることだろう。現在の私の脳のMRIを撮ったら、だいぶ萎縮が始まっているのではないだろうか。

 

この1年、各種ボランティアの活動や地域の役目で参加する行事も非常に少なかった。自発的に何かをするほうではない私にとって、これは大きな影響を及ぼし、脳への刺激はそれまでの7年以上に極端に少なかったことだろう。

 

子や孫と会って話すという楽しい時間もほとんどなかった。ジパング倶楽部の更新の通知が来たが、この1年は結局一度もこの権利を利用する機会もなかった。更新はするつもりだけれど、今年度もどうなるかわからない。

 

まだ人生がせいぜい十数年とか二十数年という若い人たちにとって、この1年の重みは高齢者の比ではないと思う。特に昨年高校生活最後の年を過ごした子たちや、初めての大学生活を迎えた子たちは気の毒だった。

 

それを思うと、私のような高齢者にとっての1年は、去年の1年も来年の1年もさして違いのない1年である。けれども、脳への影響ということを考えると、もしかしたら自分で思っている以上に大きいのかもしれない。

 

頼りないモヤモヤとした私の脳。自信がないからと役目を降りてしまったら、ますます刺激も緊張感もなくなって、認知症の坂を転げ落ちることになるのだろうか・・・。

 

 

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