雑誌『ハルメク』に作家の寮美千子さんが連載された話の最終話を、cangaelさんが昨日のブログで紹介していらっしゃる。
前回、前々回のものも素晴らしいものだったけれど、刑務所の少年が作ったあまりに素朴過ぎるとも言える詩に対する、ほかの少年たちの素直で優しさあふれる感想について語った今回は、いっそう胸を打たれた。
寮さんは最初、これはまだ純粋さの残る少年だから起きえたことだろうかと思ったそうだ。ところが、のちに機会があって成人の受刑者対象に同じような授業を行ったところ、少年たちの時と同じような反応が得られたのだそうだ。
寮さんたちが行った「詩の授業」は「社会性涵養プログラム」という教育の一環で、その人の内面を豊かに育てていく教育方法だという。そうした働きかけによって自分が人の輪の中で生きていると気づくと、自分の罪にも自ずと向き合えるようになるのだそうだ。
けれども、彼らのいる世界は、もしかしたら私たちの暮らすこの「シャバ」よりも純粋な世界かも知れない。だからこそ得られたのかも知れないこの優しさを抱えて、この悪意に満ちささくれた実社会に戻ってきたときに、せっかく育てた優しさや思いやりが、こっぴどく叩かれ踏みにじられてしまうことがないかと私は怖れる。
先日Eテレの『バリバラ』という番組で、知的障害がある人の自立生活を取り上げていた。日本では障害者の中でも知的障害の方の自立度は極端に低い。親御さん自身も無理だと思い込んでいることが多いようだ。番組では6人のヘルパーに支えられながら自立生活を楽しむダウン症の男性が紹介されていたが、やはりヘルパーさんたちも、知的障害の方たちに対する援助のノウハウはまだまだ経験不足で足りないと思っているようだった。
こうした方たちが安心して自立生活をするためにも、社会に余裕がなければ受け入れが難しいだろう。その余裕がある社会を「豊かな国」とか「先進国」とか呼ぶのではないだろうか。そうしてその余裕を生む条件の一つがなんといっても経済で、だからこそ経済が重要なのであって、今のこの国のように、一部の権利を握る人々とその取り巻きを潤すために回すものでは断じてない。
バブルがはじけて以来ひたすら坂道を下ってきたが、この7、8年で真面目さや礼儀正しさという精神的な美徳まで失ってしまったこの国。コロナ禍の1年で、さらに政治も経済もずたずたになって、他者への優しさなどどこへやら・・・。絶望して自ら命を絶つ人は増え続けている。
迷いなく「ぼくの好きな色は青色、つぎに好きな色は赤色」と言える社会。それを聞いて「〇〇君の好きな色を2つ聞けてよかったです」と言える社会。それをまた温かく見守ることのできる社会を、私たちは作れているのだろうか。
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