あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

ささいな変化

弘前時代からもう30年来使っているダイニングセット。木のみを使った、基本形とも言えるシンプルなデザインが気にいっている。冬の間だけ、座面の冷たさが少々気になるのでシートクッションを使うが、なるべくシンプルにしたくて、冷たさが苦にならない季節になれば、たちまちクッションは片づける。

 

それが、クッションがないとすぐにお尻が痛くなってくるようになり、今年はなかなか片づけられなかった。6月になってさすがに外したのだけれど、ダイニングテーブルの大好きなベンチ椅子に座ってパソコンを使っていると、すぐに不快感を感じてしまう。

 

もう何十年も体重はあまり変化がないのに、腰回りに贅肉が集まるらしく、たまにきっちりしたパンツやスカートをはくと窮屈に感じるようになった。こうしてクッションなしの椅子ですぐに不快になるのは、おそらく自分のお尻の座布団が薄くなったからなのだろう。おなか周りに贅肉が集まるというのに、お尻の肉は薄くなるとは何という不思議だろう。

 

この体の年齢を、我が贅肉たちはどうして知るのか。いや、肉がよわいを意識して移動するのではあるまい。知らずしらず、私が年齢なりの動きになって、筋肉や贅肉のつき方が変化するのだろう。

 

cangaelさん(id:cangael)が浴槽の小さな虫に気をとられて足を滑らせたことを書いていらしたが、ちょっとした筋肉の変化やバランス感覚の衰えで、自分の体が意外な失態をおかしてしまう。それが老いるということなのだろう。

 

そういうことが起きるとよくよく覚悟し、ゆっくりと注意深く行動するようにしなければと思うのだが、気短で粗忽な性分のほうは年をとっても変わらず、このアンバランスの上でおっかなびっくり暮らしていくのがまた、老いの暮らしなのかもしれない。

 

 

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いつの間にかかってに生えて株を増やし、こんなにたくさん咲いたオニユリ

 

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昨日、やっと涼しくなった夕方になまず池公園にウオーキングに行ったら、遊歩道に蝉の穴がたくさん開いていた。土の中で何年も暮らし、地上に出ると一週間ほどの命と言われる蝉にも老いというものはあるのだろうか。