あとは野となれ山となれ

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今更ですが『マイ・フェア・レディ』

昨日、ネットフリックスのサイトを開くと、トップが『マイ・フェア・レディ』の紹介になっていた。そういえば、私はこの超有名な作品をまだ見たことがない。早速見ることにした。

 

休憩をはさんで(実際私のパソコンは途中で充電が切れてしまい、いったん終了)2時間50分の大作だけれど、退屈している暇はなかった。

 

ストーリーはもうあまりにも有名だろう。街の粗野で下品な花売り娘イライザ(オードリー・ヘプバーン)を言語学のヒギンズ教授(レックス・ハリソン)がひきとって一流のレディに仕立てるというものだ。やはり人間の品性を表すのに言葉は非常に重要だ。

 

しばらくの矯正期間を経て、試しにと出かけたアスコット競馬場のシーンが傑作だ。始めのうちこそ周囲の皆はイライザの美しさに目を見張るが、すぐに付け焼刃はこぼれ落ち、彼女は汚い言葉をわめいてしまう。

 

けれどもあばたもえくぼ。イライザに一目ぼれしてしまった富裕階級の青年フレディは、彼女の言葉を「新しい言い回し」と解釈する始末で、教授の家に花束を持って彼女を訪ね、すげなく断られても夜な夜なうろつき、「君住む街角で」を歌う。このフレディ役を演じているのがジェレミー・ブレット。シャーロック・ホームズさん、若い!歌がうまい!と思ったら、歌は吹替らしい。

 

イライザの父親(スタンリー・ホロウェイ)が歌い踊る「運が良けりゃ」と、「だがまずは教会へ」がとても楽しい。そしてこのお父さん、おっしゃることがなかなか深い。

 

教授も饒舌な彼に感心してアメリカの投資家に紹介し、それが縁でイライザの父親はその投資家の遺産を継ぐことになるのだが、自由を愛する彼は大金を得てかえって不自由になったと嘆く。それならお金を返せばいいと言うイライザに、「それが、いったん手にしてしまうと離せないのだよ」と、これまた深い。大金とはこういうものなのだろう。

 

今の時代に見ると、ヒギンズ教授はとんでもない男尊女卑人間で、口から出る言葉はほとんどセクハラ・パワハラばかり。ふるまいもまるでジェントルマンとは思えない。そんな彼にイライザがなぜひかれてしまったのかは少々納得がいかない気もしたが、最後の最後「私のスリッパはどこだ」のせりふがチャーミングで不問にする。

 

チャーミングと言えば、教授の母上がまた実にチャーミングで魅力的だった。たしか競馬場ではイライザの下品な言葉遣いに眉をしかめていたと思うが、彼女の身の上も知ったうえで、彼女の良さを見抜き愛するようになる本物の貴婦人だ。

 

不幸な女の子が王子様と出会って幸せになる王道のラブロマンスだけれど、きちんと貧しい人たちなりの幸せや、上流の人たちの不自由さや欺瞞も描き、何より周辺の人々までが魅力的に活写されている。

 

そして、女性のファッションは大きく変わり、馬車の走る街や執事や大勢の使用人が立ち働く家の中も大きく変わったけれど、女性を巡る本質的な問題はそれに比べると本当にわずかな進歩しかしていないように思う。そうして、女性が女性であることに縛られている社会は、たぶん、男性にとっても生きやすい社会ではないように思う。

 

やっぱり、男とか女とかに縛られ、一等賞二等賞と順位をつけ、メダルの数が国力であるかのような錯覚にとらわれているオリンピックは、いいかげん終わりにした方がいいように思う。オリンピックを続けることは、スポーツにもアスリートにも幸せなことではないように思う。

 

なぜマイフェアレディの感想がここに着地するのか・・・。

 

 

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左から2番目がフレディのジェレミー・ブレット